ピアノとピアニスト

フランソワとプリッチャードの指揮するフランス国立放送管によるラヴェルの協奏曲の映像(EMI)は、これがあればクの字の伴奏を聴かないで済むというだけでも大いにありがたいところ、スタジオ録音以上の鬼気と冴えにあふれているという特筆すべき演奏なのですが、これを見ていてひとつ気がついたことがあります――というのは、このライヴ演奏はパリのサル・プレイエルで収録されたものらしいのですが、ここでフランソワが弾いているピアノがどう見ても(聴いても)スタインウェイなのです。

楽器メーカーの名を冠したホールなんだから自社ピアノが置かれているのが当然なのではと思うのですが。はてさて、これはフランソワがプレイエル・ピアノで演奏することを拒んで弾きなれたピアノを持ち込んできたということなのか、それとも、サル・プレイエルにははなからドイツ製のピアノが備え付けられていたということなのか。どちらにせよ、実に興味深いことです。

プレイエルのピアノで弾かれた演奏、たとえば遠山慶子女史のドビュッシー前奏曲集第一巻、六つの古代碑銘)を聴くと、わたしのようなド素人にも、このピアノがスタインウェイとはいかに違った楽器であるかということはおぼろげながら伝わってきます。音域ごとに微妙に変化する音色、ことに高音域の匂い立つような甘い響きは魅力的で、きわめて高い機能性を誇り、しかしその分ニュートラルな響きを持つスタインウェイとは、同じピアノというくくりで語ること自体が無意味なのでは、と思われるくらい。

ただし、このプレイエルというピアノは、楽器の「色」がはっきりと出る分、あまり融通が利かない面はあるのかもしれません。現に遠山女史にしても、この一枚のドビュッシー・アルバム以外のレコーディングでは専らベーゼンドルファーのインペリアルを演奏しておられるようです。