バルビローリの≪マイスタージンガー≫前奏曲

バルビローリの≪マイスタージンガー前奏曲を聴きました。オケはいつものハレ管ではなくロンドン響、一九六九年のスタジオ録音です(cf.→HMV)。

一聴、よくも悪くも耳馴染みのない、生まれて初めて聴いたような思いのするワーグナーでした――よくいえば各声部がどう動いているのかはっきり見通すことのできるスッキリと整理された響きで(こんなにハープがやたらとよく聞こえる録音に接するのは今回が初めてです)、換言すれば、クナッパーツブッシュフルトヴェングラーといった古きよき時代の巨匠たちでおなじみの、たっぷりと厚みのある響きの豊かさは求めても得られないでしょう。

かといってこれが分析的にすぎる演奏かというと決してそんなところはなく、メロディーは生き生きと、思い入れを存分にこめて歌いこまれています。とりわけ五分過ぎ以降など、思いがけずもこの上なく甘美なロマンスとなっており、聴いていてただただ陶然としました。バルビローリのこのやり口は意外とハマっていまして、無限旋律などそれこそ蕩けるように、エロティックでさえあります……

ここまで纏綿とやると、どこかいやらしい感じがしそうなものですが、この演奏にはふしぎとそのようなところがありません。全体を通じて安らかな温もりにあふれており、この指揮者のしたわしい人柄を彷彿とさせるものがあるでしょう。

この演奏、聴いていて血がたぎるようなものではないかもしれませんが、バルビローリならではのこの上なくうつくしい瞬間に満ち溢れています。こういう音楽を聴くときは自分の耳を微妙にチューニングしなくては不可ないでしょう――ワーグナーを聴くつもりで聴いたら不満を覚えて当然というもの、サー・ジョンの至芸に触れようと思って聴くのであれば、これにまさるサンプルもちょっとないのでは(聴けば聴くほどクセになります)。

以下は余談――この録音を聴いてつくづく思い至ったのですが、バルビローリは徹頭徹尾メロスの人なのでしょうね。横の線をどのように歌わせるかに全神経が注がれており、その分タテの響きに対する目配りが等閑に附されているように感じられました。

わたしは、彼のマーラー演奏では、作品本来の込み入ったテクスチュアが万全には再現されていないように常々感じており、心から満足しきれないでいるのですが、それもこの辺に由来するように思います。言葉を換えれば、バルビローリの振るマーラーは、ブラームスで耳が止まっているひとにとってもさほど奇矯には響かないようになっているのです。それが、彼の演奏の聴きやすさにつながっている面もあるでしょう。*1しかし、わたしにはそこがかえって物足りなく感じられる次第。

*1:その点にかけては、同世代のミトロプーロスのほうがよほど先鋭的ですね。