モリーニのベートーヴェン

よい悪いは別として、もっとも強烈な印象を受けたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のひとつに、エリカ・モリーニのライヴ録音があります(DOREMI)。一九四四年、ゴルシュマン指揮ニューヨーク・フィルとの共演です。

この盤で何がすごいといって、一楽章のカデンツァの後奏につきるでしょう。ここを弾くクライスラーの旧盤に「もののあはれ」を感じた、とは中村稔氏の名評ですが、モリーニの演奏では、そのものずばり、交歓の余韻の満ち足りた気だるさが濃密に立ちこめているのです。甘い汗の匂いさえ漂ってきそうなその生々しさに、見てはいけないものを盗み見してしまったような気さえ……

そんなに数多くの同曲異演を知っているわけではないですが、こんな演奏はたえて聴いた覚えがありません。特異といえばあまりにも特異なこれはベートーヴェンです。

ここでモリーニが弾いているカデンツァはクライスラーの作でしたが、これといって変哲もない演奏で、一体何があってこんなことになったのやら、いぶかしまれます――そして、全曲を通じて、正直なところほかにはあまり印象が残らなかったというのも。