魅惑的な拒否、きびしい拒絶

田中希代子ミケランジェリが嫌いだったと云います(山野楽器のCD解説に収められた『安川加壽子、田中希代子を語る(2)』)。

『ああいう音色がないというか、音色を殺すようなピアニストは駄目だと』

この批判に対してはふたつの反応が考えられるでしょう。ひとつは安川女史のように「ああ、そうかもしれませんね」とすんなり受け入れるもの。もうひとつは(たとえば吉田秀和翁などがそうだと思いますが)「ミケランジェリのピアノに色がないだなんておかしい」という反問です。

わたしにはどちらも納得が行きます――こういうと矛盾していると思われるかもしれませんが。

まずミケランジェリの音色ということであれば、四十年代から五十年代にかけての彼のピアノの濃密な響きは、モノラル録音で聴いても眼にしたたるような鮮やかさでした(「ミケランジェリの音には色がないと強弁する奴は耳にラッパをあてがって聴き直せ」とおそろしいことをのたまったのは柴田南雄でしたっけ)。バッハ=ブゾーニシャコンヌパガニーニ変奏曲(EMI)は彼のキャリアの鮮烈なスタート地点であると同時に、早くもピアノ演奏全史における頂点のひとつを築き上げたものであったと思うのはわたしひとりではありますまい。

しかるにそのミケランジェリが、一九六九年にチェリビダッケ指揮のスウェーデン放送響と共演したベートーヴェンの第五協奏曲においては、闇夜に月光をうけて冷たく光る日本刀の刃を思わせる厳しいモノクローム・トーンに沈潜しているのです(これはこれで、カラー映画より白黒の画面の方がスタイリッシュであるのと同じような意味合いで、鬼才の冴えを感じさせる凄まじい演奏なのですが)。

興味深いのは、同じひとりのピアニストがかつては並ぶものなきカラリストであり、しかも後年にはあまりにも透明な響きの世界に移行している――ということです。こういう場合、問題は音色だけのことではありえません。それ自体は付随的な変化といっても良いくらいでしょう(この辺の機微について詳しいのが、ご存知青柳いづみこ女史の名著『ピアニストが見たピアニスト――名演奏家の秘密とは』)。

わたしには、田中希代子の拒絶は単なる音色の好き嫌いなどではなく、本質的には、そこに端的にあらわれたるところのミケランジェリのピアニストとしてのありようにかかわる思い、であったような気がしてなりません。というのも、彼らには違っている点も勿論沢山ありましたが、似たところだって少なくなかったのですから。

たとえば貴族的な自己抑制――これは必ずしもわたしの個人的な感想とは限りませんよ、生前の彼女に親しく接した三善晃が「田中さんの魅惑的な拒否」ということを書いています(山野楽器のCD解説所収『夜明け前の魚』)。

わたしがことにそれを感じるのは、たとえば――以前に述べましたが――彼女が弾くモーツァルトのヘ長調のソナタにおいてです。そこで感じられた、優雅で均整の取れた申し分のない構成と内面の沈黙をミケランジェリのある種の演奏になぞらえるのは、彼女にしてみれば本意にもとることでしょう。しかしそのような反撥にはむしろ近親憎悪に近いものがあるのではなかろうか――というのも、あのような演奏がうまれた背景には、放恣な内面吐露を忌む(もしくは、怖れる)気持ちの強さから、まず最初に音楽にカッチリしたフレームを与えてからでないと安心できない、とでもいうような、ある種の心理的切迫があったように思われるからです。少なくとも、ただ「楽譜通り」に弾いただけでこうなるものじゃあありません。

蓋し彼女は、たとえばケンプやアルゲリチのような、思ったこと感じたところを――「垂れ流し」といったら語弊があるでしょうが――ストレートに表出するタイプのピアニストとは正反対の資質を宿命付けられた音楽家でした。そのような意味合いで彼女をミケランジェリとともに「構築派」と分類しても大過を犯してはいないと確信します。

話は変わりますが、彼らふたりの人生が一九五五年のワルシャワでいちど交錯していたことは多くの人の知る通りでしょう。ショパン・コンクールの審査員を務めたミケランジェリが、田中希代子の十位という評価を「どぎつい不公平」であるとして認定書にサインを拒否した――というのです。

教え好きのミケランジェリが彼女に声をかけてレッスンに招いていたとしたら、と考えるのはひじょうに興味深い「もし、たら、れば」です。少なくともわたしにとっては。

選び抜かれた数少ないレパートリーに固執する完璧主義者、という印象とはうらはらに、教え子の証言によれば、プライヴェートの巨匠はどんな曲でもゴキゲンで弾きまくってくれたと云います。調律の狂ったピアノで、ミスタッチもまき散らしながら……レッスンそっちのけで卓球の相手ばかり務めさせられたというお弟子さんもあったそうで、本人はたまったもんじゃなかったかもしれませんが、何だかほほえましくて好きなエピソードです(意外や下手の横好きの域にとどまっていたらしいあたりも、愛嬌があってよろしい)。

この奇妙な二重性は、おそらく当人にとっても重荷であったろうと思われてなりません。後年のDGG録音(たとえばモーツァルト)を聴くと、『猫』のガラス球をこする寒月が思い浮かぶことがあります。疑うべくもなく、ミケランジェリの演奏はそのひとつひとつが完璧にカッティングされた珠玉の宝石です。しかし、研磨師の凝り性が災いして、途方もなく巨大な才能の原石を磨り潰してしまうまで、身を削るような彫琢を続けずにはいられなかったこともしばしばだったのではないでしょうか――それでもなお完璧を期するのがミケランジェリであったというのであれば、彼のトレードマークたる観があるステージ上のあのしかめっ面に、わたしは彼の「こんなはずではなかった」という不如意と悲しみが見え隠れしているような気がしてなりません。

――もっとも、田中希代子がそのようなミケランジェリのオモテもウラも交々目の当たりにして、師に深い共感情を寄せるということはまだあり得る話かもしれませんが、それでもなお彼女は彼女の道を、ミケランジェリミケランジェリの道を歩んだであろうとするのがもっとも妥当な「if」の落としどころでしょうか。