ヨッフムの謎

ヨッフムの、とくに晩年の演奏を聴くと、ほんとうに良い音楽だなあといつも思います。コンセルトヘボウとの最後の共演となったブルックナーの第五交響曲(TAHRA)は、チェリビダッケのベルリン討入りライヴに匹敵しうる数少ない演奏のひとつだと思いますし、これは六十年代の録音ですが、バイエルン放送響を振ったブルックナーの第六交響曲(DGG)は、チェリ様でさえこれには及ぶまいという圧倒的なベスト・ワンです。老翁の棒で聴くと――普段はむしろ敬遠したいくらいの曲なのですが――ブラームスの第一交響曲に心底圧倒される自分がいます(INA:一九八二年、フランス国立放送管とのライヴ)。

だけど、普段からそんなにしょっちゅう聴きたいとは思わないんですよね、ヨッフムって。

これはどういうわけか、考えたのですが、それはおそらく、この指揮者の音楽には色気がないからだと思われます――杉村春子はうまいし、見れば決まって感心するんだけど、彼女が出ているからといってその映画を見たいとはあまり思わないのですが、それに通じるものがあるでしょうか。

同じ理由で、心から敬愛しているけど平生はあまり付き合いがないのが大ザンデルリングブルックナーの第七交響曲ヨッフム/コンセルトヘボウのライヴ(ALTUS)とザンデルリング/シュトゥットガルト放送響(HAENSSLER)が双璧だと思うのですが、普段よく聴くのはフルトヴェングラーのカイロ・ライヴだったりする、という具合……

それと、ヨッフムでもうひとつ不思議なのは、シュターツカペレ・ドレスデンとの仕事が多い人なのに、ほかの指揮者がこの楽団から引き出している完璧な響きのブレンドには程遠い演奏が散見されることです(たとえばブルックナーの第六交響曲の再録音)。

この文を書きながらいま聴いているブラームスの第四交響曲のライヴ録音も、「ドレスデンならではの味わい」のようなものはあまり感じられませなんだ。ヨッフムの振るコンセルトヘボウが得もいわれず良い音をしているのとは随分様相を異にします。