ビシュコフ/N響

ビシュコフ指揮N響の定期公演を視聴しました。ショスタコーヴィチの第一交響曲春の祭典のプログラムです。

面構えと音楽性がえらいかけはなれているなあ、というのが第一印象。ロシアらしいコッテリとした、聴いていてグッと来るような何かは驚くほど希薄です。起伏が平板でコントラストの弱いダイナミクス、動的な一貫性に乏しいリズム――要は、構成に対する感覚、もしくは音楽のヤマ場に対する嗅覚、といった要素がきわめて弱い(これはロシア的・非ロシア的以前の問題か)。

ストラヴィンスキーにはただただガッカリ。第二部の前半の退屈なことといったら……

ショスタコーヴィチ金管のミスが目立ち、アンサンブルも全体に締まりというかまとまりというかがありません。まあ、それもある意味納得というもので、プローベはストラヴィンスキーに重点が置かれてこちらには手が回りきらなかったとしても不思議ではありませんし、後プロのために力をセーブしているのでしょう。それでも、光る瞬間――たとえ瞬間でしかなかったにせよ――が含まれていたのはシンフォニーの方だったように思います。たとえばフィナーレのコーダ、ティンパニからチェロへとソロが受けわたされてゆく辺りの密度の濃さ、そして、三楽章で、弦が地の底からわきおこるように主題を奏でるところのゆたかな広がりは、ビシュコフの体から音が出ていると実感することのできるものでした。

いいところがまっっったくない、とまではいいませんが、ベルリン・フィルとか振ってフィリップスからバンバン録音を出していた頃のビシュコフってこんなんだったっけ……!?