五分が我慢の限界

庄司某の独奏でチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を視聴しました。といっても最初の五分だけですが。

それにしてもひどい。お金を払ってこれを聴きに行くひとがいるというのが信じられません。

舞台姿そのままに貧相で美感のないヴァイオリンの音色。運弓が不安定で、戦後のメニューインさながらにかすれかすれで耳障りなひびき。杓子定規で身体のなかに沸き立つものがこれっぽっちも感じられないリズム。せいぜいよくいって学芸会レベルの見世物です。

ただし、意外なくらいドミトリー・リス指揮ウラル・フィルの管弦楽は立派でした。いささか古風にも感じられる圭角に富んだ歌いまわしで、よくも悪くもグローバリゼーションの波に乗ったモスクワ、ペテルブルグのオケと一線を画した味わいがあります。五十年代のモスクワ放送響みたいな濃厚さやパワーこそありませんが――

そういえばスヴェトラーノフもよくN女史の伴奏をおつきあいしていましたっけねえ……

(マタチッチのことを書く予定でしたけど、こういう文をものするときの方がペンがスラスラ運ぶというのは、「嫌いなものがきらいなほど好きなものがすきではない」というルナールの言葉を地で行く恰好か? ^^;)