マタチッチのブルックナー/第五交響曲(承前)

ここの続き)

劇的な一楽章、ふかぶかとした――それでいて、いささかも重ったるいところのない二楽章の歌。これだけとってもブルックナー振りとしてのマタチッチの高い力量は瞭然としていますが、後半楽章こそ、壮年期のマタチッチのライヴの真骨頂というべきで、世に名高いチェコ・フィルとの第七交響曲のスタジオ録音とも一味ちがった、真に驚くべき響きの世界が聴く者を待ち受けています。

豪胆で思い切りの良いオーケストラ・ドライヴは青龍刀の一振りを思わせる凄まじさで、生命が脈打つ音楽の核心へ直ちに切り込むその迫力は、銀のメスでちまちまと解剖ごっこでもしているかのごとく枝葉末節に汲々とするマニエリストの一派をはるかな高みから睥睨します。

ひとつ特筆すべきは線的なテクスチュアをさばく手並みでしょう。一台のオルガンを弾いているかのように自在に各パートを鳴らして、生き生きとしたポリフォニーを生み出しています。

ブルックナーの音楽をアルプスの山並みになぞらえるのは宇野氏の専売特許ですが、チェリ様の演奏がさながら遥かに仰ぎみる峰々の威容を思わせるとすれば、マタチッチは、ときに嵐が吹きすさび、登頂せんとするものをクレバスに飲みこむ、恐るべき神としての山をまざまざと想起させます。神々しいまでの壮麗に対するに荒ぶる魂の躍動――両者は対極的なようでいて、まさしく人知を超越した高みに到っている点で共通し、蓋しブルックナーというヤヌスの神のそれぞれの一面を代表しているのです。

オケも頑張っています。全体に引き締まったひびきで、とりわけブラス・セクションの凝集感のあ-る音色は、ブルックナーはこうでなくちゃ、と思わせる体。ベルリン、ウィーンと比べると……というのはちと贅沢というもので、マタチッチのタクトに渾身の力で応えるその心意気をこそわたしは買いたいです。