ミュートン=ウッドのベートーヴェン/ピアノ協奏曲第四番

ベートーヴェンの第四協奏曲でわたしの好きな演奏のひとつは、ノエル・ミュートン=ウッドのレコードです(オケはワルター・ゲーア/ユトレヒト響)。

ミュートン=ウッドはオーストラリア出身のピアニストで、シュナーベルに学びました。十八歳のロンドン・デビューはビーチャム卿のサポートもよろしきを得て華々しい成功を収め、洋々たる前途を約束されていたにもかかわらず、一九五三年、同性の恋人の後追い自殺をしてしまいます。まだ三十一歳になったばかりのことでした。

カーゾンやカルロ・ゼッキと兄弟弟子にあたるだけのことはあって、このピアニストは、羽毛のように軽やかでニュアンスのゆたかな、きわめてうつくしいタッチの持ち主です。絶妙なレガートのセンスもまた、師匠ゆずりといって良いでしょう。ブゾーニのピアノ協奏曲をレパートリーにおさめていたくらいだからテクニックは磐石です。

しかし、なんといっても心惹かれるのは、全曲を通じてそこここに感じられるあやうい翳りです。単に繊細であるという以上に、あまりにも感じやすい魂の震えおののきがそのまま音になっているかのようなところは、親炙していたブリテンに通じるでしょう――第二楽章ひとつとってみても、思いつめたようなピアノ独奏を聴いているとどうしようもなく心細くなるのを感じます。かれが恋人の死をその頃(これは一九五二年の録音です)から予感していたはずもないのですが、もしかしたら――とも思わせ、「オルフェの地獄下り」というこの楽章の伝統的な解釈を、まるで悪夢を追体験しているかのように生々しく彷彿とさせる演奏はちょっとほかに聴いた覚えがありません。

ミュートン=ウッドが遺した十一曲の協奏曲のスタジオ録音のすべてで相手役をつとめているゲーアは、的確にして重厚なタクトでソリストを盛り立てています。立派な仕事です。

この録音は、オーストラリアのABCからも復刻されていますが、いささかノイズ・リダクションが利きすぎた鈍い仕上がりで、それよりCD初出のDANTE盤のほうがまっとうな音質でした。ちとドライな響きですが、これはオリジナルの録音がそうなのでしょう。