ミュートン=ウッドのチャイコフスキー/第二協奏曲
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第二番は、全集録音を手掛けるでもなければ弾くピアニストもめったにいない曲ですけど、ミュートン=ウッドの演奏(これまたDANTE盤全集中の一曲)は、思うに、かれの第一協奏曲にもましてすぐれた成果をおさめています。*1
たとえば一楽章の第二主題などで、ミュートン=ウッドの持ち味が最高のかたちで生きており、このピアニストのニュアンスゆたかなタッチでささやくように、さりげなく歌われると、ノクターン風の甘美さがよりいっそう際立ちます。南国への憧れを思わせる二楽章も息をのむようなすばらしさ。
二楽章のヴァイオリンとチェロの独奏は、ヴィンタートゥーア響のふたりの首席奏者、ウェストミンスターの名録音でおなじみのペーター・リバールと、かれの弦楽四重奏団の同僚でもあるアントニオ・トゥーサがつとめており、とりわけリバールのヴァイオリンの甘美なことといったらありません。かれの弾くコンチェルトやソナタを聴いているときはそれほど意識したことがなかったのですが、これを聴いていると、そういえばこのヴァイオリニストはウィーンの出自であったっけ、ということを改めて認識させられた思いです――残念なのはこの演奏がジロティ版によるものであることで、二楽章が原曲の半分の長さにカットされているのですが、リバールのヴァイオリンだったらもっと長いこと聴いていたかった、と心から思います。
ひとつ不思議なのは、このピアニストによるベートーヴェンやシューマンの演奏を特異なものとしていた思いつめたように暗い翳りが、チャイコフスキーではほとんど顔を出していないことです。こういうとあまり下世話にすぎるでしょうが、同じセクシュアリティーの持ち主同士、弾いていてシンパシーと安らぎを感じることができたのでしょうか。