シゲティ/ハスキルのブゾーニ

ブゾーニのヴァイオリン・ソナタ第二番には、シゲティハスキルによる、録音がのこされたことを神に感謝したくなるような夢の共演があります。ブゾーニの音楽の高貴な美しさがストレートに伝わってくる魔法のような演奏で(その点ロスタル盤には、良くも悪くも聴き手に厳しい緊張を強いるところがありました)、一楽章の甘美な情感など、ロスタルの設定したフォーカスからは外れていた側面もあまさず掬いとられています。

特筆すべきはシゲティのヴァイオリンのみずみずしさです。録音当時五十五歳のシゲティですが、第二次大戦中と比べても若返ったような感があり、演奏家としていちばん良い時期だったのではないでしょうか。五十年代以降のシゲティに多かれ少なかれつきまとったテクニックの問題を意識することなく、「ブゾーニ使徒」ならではの深い共感にみたされた解釈を享受できることの幸福。三楽章の心にしみ入るようなカンティレーナこそ、このヴァイオリニストの真骨頂です。

この演奏が「魔法のような」印象をあたえるのは、ハスキルのピアノによるところが大きいでしょう。決してわかりやすいものとは限らないブゾーニの音楽が、彼女の指をとおしてだと魅惑そのものとして顕現します。「ハスキルは音楽そのものの化身だ」と感嘆したのはリパッティですが、この演奏を聴いていると、触るものなべてが黄金となったミダス王の物語など思い浮かびます。

デュオはコントラストがあるくらいの方がいいと喝破したのはコルトーですが、このふたりほど資質からいって対照的なデュオもある意味珍しいかもしれません――すなわち、彼女の見たまま感じたとおりがそのままでたぐいなき音楽であったハスキルと、身を削るようにしてひたむきに真実に肉薄しようとする求道者としてのシゲティと。いってみれば、三楽章をいっしょに弾いていても、シゲティのヴァイオリンが天上的なるものへの憧れを切々と訴えているその瞬間、ハスキルのピアノはすでにして天上的なのです。

そのようなふたりを結び付けているのがブゾーニへの熱い思いでした。シゲティについては誰もが知るとおり、ハスキルブゾーニにあこがれて師事することを熱望していましたが、それは事情があってかなわなかったとか(彼女がリバールとこのソナタを演奏した録音が、それも複数、遺されています)。ここにわたしたちが聴くのは、蓋し、ブゾーニが父、シゲティが子、ハスキル聖霊である三位一体なのです。