ハスキルのベートーヴェン/ピアノ協奏曲第四番(二)

(承前)

一九五五年ライヴでは、同じ指揮者と組んだショパンの第二協奏曲もそうでしたが、「攻め」のハスキルを聴くことができます。コジャレたクの字の棒に対する反撥なのかしらん……というのは冗談として、彼女にかかる一面もあったことは記憶にとどめておいて良いでしょう。

一方で、弱音のニュアンスや表現の純度といった魅力は、その分――というと語弊があるかもしれませんが――彼女の他の演奏と比較して遜色があるように思いました。もっとも、そう感じるのはカサカサして潤いに欠けた音質による部分もあるか知れません(さらにいえば、わたしの聴いているENTERPRISE盤が悪いという説も……)。

ゼッキと共演した最初の録音はデッカのセッション・レコーディングで、かのケネス・ウィルキンソンが録音を手掛けています――こういうといかにもハイ・ファイ録音みたいですが、残念ながらわたしの手持ちのCD(リパッティ/アンセルメシューマンカップリングされたデッカ盤と、ハスキルの戦前録音が収録されているDANTE盤)で聴く限り、一九四七年なりの音といったところでしょうか。ただし、これまで取り上げた三者におけるような音質上の問題はないので、古い録音を聴きなれている自分には、この演奏がいちばん安心して音楽にひたることのできるものです。ピアニストのコンディションも、フィリップス録音にままある「弾き疲れ」を感じさせません。ちょっとしたミス(たとえば三楽章の四分過ぎ)はそのまま残っているところをみると、リテイクはあまりしていないのでは。

今回聴いたなかで、ハスキルのタッチの繊細さをもっともよく伝えているのがこのゼッキ盤でしょう。たとえば一楽章の七分半前後のあやうさを感じさせる翳り、息をひそめるようにして奏でられるピアニシモのよるべない孤絶感――師のコルトーハスキルのことを「バランスがとれないような、孤独な時にもっとも素晴らしいものを生み出す才能」*1と評していましたが、このセッションこそ、まさに「その時」、だったのではないでしょうか。

ゼッキの棒は、指揮者としての活動初期のものだと思いますが、骨法はすでに確固たるものがあり、要所できかせるアクセントが効果的。熟した味わいこそ求められないにしても、清新で力強く、ソリストに対するこまやかな気配りも感じさせて立派な仕事ではないかと。

わたしの個人的好尚はゼッキ盤とロッシ盤に傾きます。ハスキルの暗い心情を色濃く反映した前者に対して、後者は情感的な陰翳をこえて心境の明澄を感じさせるものでした。これはどちらがよりすぐれているというものではなく、それぞれにかけがえのない記録です。

*1:以前も引用させていただいた『光と風のなかで』より。