アレクサンドル・メルニコフ/リサイタル

テレビで、アレクサンドル・メルニコフのリサイタルをやっていたので見ました。二〇〇七年のライヴで、曲目は交響的練習曲とスクリャービンの幻想曲、作品三十二の詩曲、など。

十数年前になりますが、このピアニストはいちど実演で聴いたことがあります。「リヒテルの秘蔵っ子」という触込みで、その頃は青年というより坊やといったほうがピンとくるような風貌でした。ボロディン四重奏団とショスタコーヴィチピアノ五重奏曲を共演し、細かいことはもう覚えてはいませんが、素直な音楽性が好ましく感じられた記憶があります。

さて、十数年分以上老けこんだ印象のあるピアニストは、音楽もまた随分と様変わりしていました。以前は音楽が自然と湧き出てくるようなところがあったと思うのですが、とくにシューマンは、「考えすぎじゃなかろうか」と思うような凝りに凝った解釈です。たとえばエチュード第四番のまるでゲンダイオンガクみたいなリズムとひびきがそうですし、せっかく挿入しているのにちっとも歌わない遺作変奏曲*1もしかり。

「変だ」という一言で片付けたくはないのですが、かといってどういうわけでこのように弾いているのやら、ちょっとわたしには想像がつきかねる部分が多い――そういえば、この曲で曲間にちょくちょくパウゼをはさみ、ハンカチで汗を拭っているピアニストなんてはじめて見ましたよ。ヘンなやつだなあ……(結局云ってる ^^;)

一方、テクニカルな仕上げはとても練られたもので、指まかせなところがなく隅々まで制御されており、誰のようにとは申し上げませんが、まったく大味なところがありません。エチュード第三番のように凝ったことをする余地がない(と見える)音楽はみごとな出来です。引き締まったタッチで、とくに左手が雄弁で力強いです(その手がまたデカい!)。このカナリア、歌は忘れてしまったとみえますが、鳴き方は以前より著しく上達していますね。

といった具合で、聴き手に対して媚びることなく、音楽に真正面から向き合っているのは分かるけど、何がやりたいのかは今ひとつ伝わってこない――というのが最初に通して聴いたときの印象でしたが、不思議なことには、もう一度聴いてみると、慣れでしょうか、意外とスンナリ聴くことができたりします。あまり聴きなれないことをしているとはいえ、それが恣意的なものではないから、ではないかしらん。

色々いいましたけど、この人は蓋し未来の本格派です。スクリャービンなどは今の時点でもじゅうぶん本寸法と呼ぶに値する出来で、幻想曲*2や詩曲にあって特徴的な甘美さをかなり抑えているのが、前者ではいくらかの物足りなさにつながっていますが、ちょっと聴き飽きかけていた後者が、かれの手にかかると新鮮にひびきました。

*1:エチュード第七番と八番のあいだに、遺作の四番と五番を弾いています。

*2:ソフロニツキーがこの曲について「ラフマニノフっぽい」といったのはあまり良い意味ではないでしょうね……