ルイサダのリサイタル

以前録画しておいたジャン=マルク・ルイサダのリサイタルを観ました。二〇〇六年、人見記念講堂でのライヴ録音です。

一曲目はハイドンのピアノ・ソナタ第六番(ホーボーケン番号)の三楽章。フランスのピアニストのハイドンというとカトリーヌ・コラールなどがまず思い浮かぶところですが、ルイサダのピアノは彼女よりさらに前の世代のピアニストの、それもクープランやラモーといったクラヴサン音楽を弾いたときを髣髴とさせる、優婉にして哀切な情感をたたえた音色でした。タッチをコントロールしきれていない面がありますけど、たとえばセルメットと比べても、この人のピアノの音色はきわだってロマンティックです。

これは気のきいたアペリティフだなあと思っていたら、間髪を入れずベートーヴェンの≪悲愴≫ソナタが弾きはじめられたのにはびっくりしました。淡い陰翳を帯びたロココの世界からいきなりグラーヴェの序奏ですから、演出効果としては著しいものがありますね。

それでも、本編は第七ソナタから地つづきの世界でした。これはひとつの見識というべきでしょうし、ルイサダのエレガントなピアノにも相応しいです。

彼はコルトーを筆頭として往年の名ピアニストに対する愛着を公言していますが、音にそれが出ていますねえ。歌いまわしに独特のクセがあるのですが、それもピアノの黄金時代へのオマージュとわたしには感じられます。ただの表面的な物真似ではなく、深い研究をうかがわせるところがキモ。

これは演奏の内容とは直接のかかわりはないことか知れませんが、ハイドンアダージョからフィナーレに到るまで、ルイサダはずっとアタッカで弾き続けます。二楽章の中間部ともなると滝のような汗をしたたらせながら……(メルニコフにこれを見せてやりたい)

やりたいことをやりつくした感のあるベートーヴェンと比べると、ショパンの第三ソナタは、一楽章の提示部の後半でちょっと目立つミスをしたのがメンタル面で尾を引いてしまったようで、いくらか散漫に感じられたのが惜しかったです。ベートーヴェン同様ショパンも全曲をアタッカで弾いていましたが、一楽章のあとに間を置いて気を落ち着けたらよかったのに、と他人事ながら思ったり思わなかったり……

ふしぎなもので、コルトーはあれほどミスタッチを盛大に撒き散らしていても、演奏の流れはなぜか崩壊しないんですよね。ちょっとやそっとのことでは音楽の行き先を決して見失わない。その点、ミスしたからといって責める気は毛頭ないのですが、ルイサダはかわいそうに、随分動揺してしまったようです。

しかし、リサイタルとしては趣向もとても興味深く、好感が持てるものでした。しょっちゅう日本には来てくれているみたいですし、ぜひ生で聴いてみたいものです。