清水靖晃の≪ゴルトベルク変奏曲≫(と書いて、「トシヨリノヒヤミズ」と読む……!?)

テレビで清水靖晃&サキソフォネッツの演奏会を観ました。清水氏の編曲するところのゴルトベルク変奏曲の抜粋です(一時間番組だったため)。面白かったですが、それにしても色々と考えさせられる演奏でした。

まず編成の特異さに驚かされます。サキソフォン五、コントラバス四の九人。これをいったら野暮になるのは承知の上ですが、ピアノ/クラヴサンだったら一人、シトコヴェツキー二世の弦楽アンサンブル版であれば三人で演奏できるところを九人です。サキソフォン四重奏+コントラバスの五人ではなぜダメなのだろうか、と素人ながらに不思議でした。

サキソフォンはピアノや弦楽器とちがって七十分も息が持たないから、かわりばんこに吹いて全曲をマラソンするのか――と思いきや、ほぼ毎変奏ごとにパウゼが入ります(拍手も)。清水氏はテナー・サックスを吹いていますがほかの四人の楽器分担は固定されておらず、テナー以外のソプラノ、アルト、バリトンを、それこそ変奏ごとに持ち替えているような按配(コントラバス通奏低音にいたっては、弾いている最中に眠くなってもおかしくなさそうです)。

わたしは楽器をしないものですからこれは憶測でしかありませんけど、何がなんでも自分が主役でいたいがために九人という編成を要したのではないかしらん。たとえばこれがサキソフォン四重奏であればテナー・パートはone of themでしかないことは自然の道理ですが、ここで清水氏は八人をバックにして*1終始おいしい声部(それがなければインプロしてでもオカズを入れる ^^;)を吹き、全曲「場」を持ってゆくのです。

典型的、と感じられたのは第二十一変奏で、そうでなくてもテナーではきつかろうに、わがトシを考えてごらんなさいな――といいたくもなるような高音域を、ソプラノ/アルトに任せず、自分で息もたえだえに吹いておられる(笑)。このサキソフォン五重奏が、「清水氏の主宰するサキソフォネッツ」ではなく「清水靖晃&サキソフォネッツ」と銘打たれるのは、蓋し、ミッシャ・エルマンの主宰していた弦楽四重奏団が実質的には "Mischa Elman and his string trio" であったのと同断です。

与太話は与太話として、面白い聴き物であったことはたしかですが、変奏ごとに毎度パウゼがはさまるのにはちと閉口しました。せめて、カノンで区切れをいれるようにして三曲くらいは続けて演奏してほしかったです(これもイジワルな見方をすれば、若い四人の奏者たちはそれくらい息が持たないこたぁなかったのだけど、清水氏が……とか?)。それと、最初のアリア(もちろん清水氏の独奏)は、あえて計算してプレーンな表情で吹くのだろうと推察していたのですが、最後のアリアを聴いていると、ホンマに計算だったのかいな、と思ったり思わなかったり……(^^;;;

ま、そんなどーでも良いことを色々考えさせてもらえるのもまた楽しからずや、でした。曲間の拍手にわずらわされずに済むCDでも出たら、あらためて聴いてみたいと思います。

*1:彼らの楽器の持ち替えは、蓋しテナー声部がもっとも際立つように各変奏ごと調整されるのです