コルトーのショパン
限られた曲目を繰り返し取上げるというイメージの強いコルトーですが、ことショパンに関しては、ソナタの一番や番号のないポロネーズ、マズルカといった類の若書きの作品は別として、独奏曲のあらかたを録音しています(ただし、今に至るまでマズルカの全集やスケルツォ、ポロネーズの録音がお蔵入りしたままですが)。コンサート・レパートリーとして生き残っている作品中、取上げられていないのは第一協奏曲とノクターンの約三分の二くらいなものでしょう。
フォーレやドビュッシー、ラヴェルの作品はごく一部を取上げるのみで、得意としたシューマンでさえ、ウィーンの謝肉祭の道化やフモレスケ、ソナタの一番・三番、森の情景の全曲といった作品の録音を遺してくれなかったことを思うと、ショパンに対する熱をこめた取り組みがコルトーにあっても特別であったことは疑うべくもありません。彼がこれだけ包括的に、ピアノで弾ける限りの曲はあらかた弾いてみせようという姿勢を貫いたのは、ほかにフランクとベートーヴェン*1くらいなものです。
そのコルトーが、第二次大戦中にショパンの前奏曲やエチュード、ワルツ集を録音していたことは世に知られるとおりですが、HUNTのディスコグラフィーをみると、一九四二年から三年にかけて、ほかにもショパンの作品がまとめてレコーディングされていたことがわかります。取上げられたのは上掲三集に加えて二曲のソナタ、スケルツォ、バラード、即興曲の全曲、七曲のポロネーズ、幻想曲、子守歌、タランテラ、三つのエコセーズ*2……この全てが未発表録音だとは何とも勿体ない話です。
一九三三年から四年にかけて、コルトーはショパンのピアノ曲を集中的に収録していますが、HMVは、マズルカとポロネーズ、スケルツォ、ノクターンの全集をルービンシュタインに任せて、一種の分業体制をとりました。戦後、コルトーはショパンの独奏曲の全曲録音を願って果たせなかったと伝わりますが、その最初の試みが、これら一九四二/三年のセッションだったのではないでしょうか。
残念ながら、レコーディングはおそらく時局の緊迫によって途絶したものと思われ、ついに取上げられることがなかったのは舟歌、三つの遺作練習曲、作品四十五の前奏曲とマズルカ、ノクターンの全曲……でした。わけても惜しまれるのはノクターンが録音されなかったことです。戦後もコルトーは多数ショパンの録音をのこしていますが、ノクターンの全曲を取上げることはついにありませなんだ。
(とはいえ、コルトーにはマズルカとノクターンを意図的に後回しにしていたフシがないでもありません――とすれば、そこまでレコーディング・セッションがたどり着かなかったのもある程度は必然といえましょうか)