コルトーのショパン(承前)
コルトーはショパンの作品を幅広く取上げたのみならず、多くの曲を繰り返し弾いており、葬送ソナタや前奏曲集は、それぞれ五種の同曲異演を聴くことができます。それぞれ十一種あるフルトヴェングラーのエロイカや第九に比べれば一見かわいいものと映るかもしれませんが、とくに葬送ソナタは、五つのうち四つまでがスタジオ録音であり、それに加えて未発表音源が三種あるといわれることを念頭に置かなくてはなりません(フルトヴェングラーのエロイカの正規録音は二つのみで、第九にいたってはスタジオ録音はなかったはず)。
とりわけ一九二〇年代から三〇年代にかけてコルトーはショパンのピアノ曲を幾度となく録音しており、なかにはロ短調ソナタのように、わずか二年の間をおいてふたたび吹込みされたものまであって*1、二十年代にレコーディングした謝肉祭や交響的練習曲がLP時代に至るまで再録音されなかったのとは随分趣を異にします。
どうしてそこまでたびたび録音を繰り返したのか。そして、それがなぜショパンだったのか。無論レコード会社の事情や営業方針による面も否定し得ない(わたしにとってこれは全くのブラック・ボックスです)でしょうけど、もっとも大きなファクターは当然ながら、ピアニスト本人の意欲であったとわたしは考えます。いっそ執念、としたほうが正確でしょうか――
エトヴィン・フィッシャーをはじめとして、十九世紀生まれの演奏家の多くがレコード録音に対して多かれ少なかれ懐疑的であったことはご案内のとおりで、コルトーもその一派に属していたことは回想や『演奏家の態度』*2と題された小文からも明らかですが、それでいて彼はシュナーベルやフルトヴェングラーと比べるとレコード会社の求めに対してかなり鷹揚でした。少なくとも、与えられた機会を利するにかけては怠らなかったことが、遺された録音を聴いているとよく分かります。