シャフランとシゲティ

わたしがはじめて聴いたシャフランはシューマンのチェロ協奏曲でしたが、音色の美しさ――美しいというだけではまったく何も述べていないに等しい、あの生々しい艶めかしさには驚きました。こんな音色をチェロから引き出した人はまず思い浮かびません。

だけど、何回か聴いてだんだん確信に至ったのですが、この人の演奏、どうも心に残るものがありません。この曲では二楽章が意外なくらいつまらない。あまりにも音色によりかかっているからです。コンドラシンの名伴奏が泣きます。

最後の駄目押しがYEDANGから出ていたフランクのチェロ・ソナタですね。このソナタは曲自体があまりに良く出来すぎているためか聴いていてコリャダメだと思ったような演奏はあまりないのですが、シャフランのは数少ない最低のレコードと断言して憚りません。

これほど醜悪な演奏を聴いたことはまずありません。つまらないのとか悪趣味なのとか無惨なのならそれこそ星の数ほど、ですが醜悪というのはよほどのことですぜ。

具体的にはテクニックが崩れています。度合いからいえばそれこそシゲティメニューインと比べたら可愛いくらいなものですが、その少しの崩れが途端に音楽を聴くに耐えないものとしているのです。これは一体どういうわけだろうかと衝撃的でさえあります。

白髪の老婦人ほど美しい人はいないとか言ったのはたしかホイットマンでしたが、シゲティのマーキュリー録音を聴いていてゆくりなくもそんなことを思い浮かべたものです。技術的には全く衰えてしまっているにもかかわらず内面の輝きはいや増すばかりという、あのベートーヴェンブラームスの協奏曲の有無を言わさぬ説得力。皺の一本一本まで美しく老いた――というような崇高な美しさがそこにはあります。

対するシャフランは、そのものずばり、頭のカラッポな美人ですわ。容色が衰えるや否や見るに耐えなくなり、醜悪の一語に尽きる――という。具体例を挙げるのは差し控えておきますが、ま、容易に思い浮かびますでしょ。

蓼食う虫も好き好きですし、頭のカラッポなお姉ちゃんも週刊誌のグラビア見たりする分にはそれなりに目の保養になりますが、シャフランねえ……わたしはシゲティに最後までついて行くことを選びます。

ちなみにリヒテルはシャフランについて「高音を美しく響かせることしか頭にないチェリストときわめて冷徹な評価を下しています。世の噂では同じリヒテルが「ロストロポーヴィチ以上」と言ったとか言わないとかですが、真実はかくのごとし。「音楽家としてはロストロポーヴィチの方がずっと面白い」ともあります(筑摩の『リヒテル』のうろおぼえ)。

何でこんなこと書いたのかはご想像にお任せします(笑)。