妄人閑語

アラウは生前日本人の弟子の一人に「われわれはドイツ人以上にドイツ的な演奏をする」との自恃をひそかにもらしていたそうです。ご存知の方も多いでしょう。わたしのようなド素人まで何となくうれしいような気がしてきます――が、言葉通りに受け止めるのも芸がないので、ここはひとつ深読みしてみようと思います。

『アラウとの対話』は十九世紀後半から第二次世界大戦にかけてのピアニズムの黄金時代に関する証言としてもきわめて高い価値を有する書物で、同業者に対してアラウはきわめて率直な是々非々の評を下しています。たとえばケンプはアメリカに来てもあまり成功しなかったのではないだろうか、というのもあまりにも「ドイツ的」だったから――という感想には、アメリカで苦労して聴衆を開拓したアラウならではの重みがあるでしょう。アメリカでしかるべき評価を受けることができなかった巨匠としてアドルフ・ブッシュの名も挙げられています。

しかるにアメリカに来て大いに成功を収めたドイツ人音楽家が少なくともひとりいます。ゼルキンです。

そういう目で当書を読み直すと、アラウのゼルキン評がケンプやギーゼキングコルトーに対するものに比してきわめて曖昧なものであることに気付かないわけにはゆきません(同じアメリカで仕事している同業者であってみればそれも当たり前なのでしょうが)。わたしのおぼろげな記憶では、自分はゼルキンのようなニューズ・ウィーク誌の表紙を飾ったりする人気ピアニストではない、と語っていたはず。

皮肉ですよね、これって――わたしもゼルキンが好きじゃないからアラウの本音がその分よく分かるような気がします(笑)。

ゼルキンだってヨーロッパ時代は必ずしも悪くないピアニストだった(たとえばシューベルトの幻想曲)と思うのですが、アメリカに移住するや否や、その音楽性は(個人的にはきわめて残念な)変貌を遂げます。何と申しましょうかねえ――何年かぶりで田舎に帰ったら素朴でかわいらしかった少女が高校デビューしちゃってたときの衝撃に近いものがあります。ひとことで云えば、アメリカの水に染まってしまった、と。

アメリカ的美学なるものが存在するとすれば――それが仮に美学と呼ぶに値するものだとしたら、ですが――その本質は蓋し啓蒙主義です。技巧の正確さや分かりやすさといった計量的基準によって演奏の価値は判断されるべきだという、「本場」ヨーロッパの伝統的価値観に対するコンプレックス剥き出しもいいところの――

ゼルキンは、わたしの見るところ、ブダペスト四重奏団と並んで「アメリカ的美学」を体現する存在になりおおせたのです(ちなみにわたしはブダペストのラズモフスキー第三番を聴いて、「ほーら分かりやすいだろう?」といわんばかりのその演奏に聴き手としてすごく馬鹿にされているような気がして猛烈に腹が立って以来というもの、ゼルキンだのブダペストだのを蛇蠍の如く忌み嫌うようになって今日に至ります)。

もうお分かりですね――蓋し、「ドイツ人」とはゼルキンのことだったのです。