フランクのピアノ五重奏曲

いくつか聴いてみたいと思いますが、まずはコルトーと行きましょう。一九二七年録音といえばコルトー五十歳、脂の乗り切った時期のものです。

艶やかな音色が際立つコルトーのピアノは、しかしながら色気をことさらに押し出すようなものではなく、格調高さをまず念頭に置いたように思われます。一楽章、独奏の入りは神韻縹渺たる美しさです。一方で、この楽章を特別なものとしている激しい昂揚は、バックの四重奏団の構成力が散漫なこともあいまってあまり感じられません。

(共演のインターナショナル四重奏団は、この録音でしか知らないアンサンブルですが、甘美な演奏をします。ただし随分ステロタイプな甘さであることは否みがたいでしょう。彼らがピンでベートーヴェンシューベルトを吹き込んだという話は伝わりませんし、あったとしても聴いてみたいとは思いません)

フランクの五重奏といえばオルメスとフランクの「隠された情熱」が云々されるのが常ですが、それを期待して聴くと期待外れでしょう。蓋しコルトーにとってフランクはあくまで「フランス近代音楽の父」だったのであり、崇高、慈愛、瞑想と法悦――などといったキーワードから外れるイメージは、意識的に排除されたかの感があります。


かかる「フランク観」が当時のフランスである程度の幅をともなって共有されていたことを示すのが、同じ年に録音されたカペー四重奏団盤でしょう。こちらのピアノはマルセル・シャンピ。

これはコルトーに輪をかけて求道的と申しましょうか、崇高にして輝かしく、厳しさと燃えるような情熱とが激しくせめぎあいつつも響きは玲瓏として一点の曇りもないという超絶的な完成度を誇る演奏です。聴いていてただただ身の引き締まる思いで、オルメスのオの字もありゃしません。シャンピのピアノは少々「若い」感じがしますがカペーの薫陶よろしきを得てアンサンブルには強い一体感があります。

以上、一長一短のあるふたつの録音ですが、聴き応えがあるのはカペーの方でしょう。この曲は四重奏こそが主役なのです。もっとも、コルトーとカペーで聴くことができたら――と思わずにはいられない、というのが正直なところではありますが。