二年前からあったものらしいですが

例によって某巨大動画サイトをみていたら、チェリビダッケシチリアのオケを指揮した動画にゆきあたりました。一九六五年のライヴだそうで、わたしはこれまで聴いたことのなかった顔合わせです。画質はアレだし、音もモノラルのAMラジオみたいですが、変換やせしていないので意外と聴きやすいかも。

ただ、曲がスゴいことになってます。ヒンデミットの交響的変容……もさることながら、クープランの墓ですよ、クープラン

オケの水準はだいたい想像どおりといったところで、連中、大してうまいわけでもないくせに好き勝手しやがるから、チェリ様ならではの精緻なひびきは求めるだけムダというものですが、終曲の中間部など、後年のすばらしさの片鱗くらいはうかがうことができるでしょうか……

Celibidache Orchestra sinfonica Siciliana なんてぶちこむと出てきます。

ムラヴィンスキーの第五交響曲

……というと、チャイコフスキーショスタコーヴィチを思い浮かべる向きが多いであろうと思いますが、ベートーヴェンの第五もそれに優るとも劣らぬ、ムラヴィンスキーならではの境地をいまに伝えるものです。

この巨匠の常で同曲異演が複数あり、なかでは唯一のステレオ録音である一九七二年のモスクワ・ライヴ(MELODIYA)の人気が特に高いようですが、わたしはというと、CD初出の七四年ライヴ(JVC/ERATO)でなければムラヴィンスキーの第五を聴いた気になれません。

この七四年ライヴは、骨と皮にも程がある、ストイックすぎる、という声が一部にある演奏で、たしかに誰にも受入れられるというものではないでしょう。しかしその厳しさは、ステレオ録音だとやわらいで響くというものでもありません――換言すれば、基本的にはどちらを聴いても満足できる者は満足すると思いますし、そうでない者はどちらを聴いたとしてもムラヴィンスキーにはついてゆけないと感じるはず。

ではその上で、お前は七四年ライヴの何がそんなに気に入っているのか、と問われたら、それはフィナーレ提示部二番カッコのティンパニにつきる、というのがわたしの答えです。これほどリズムの根源的なちからが生々しく、迫真的に伝わってくる瞬間を、ちょっとすぐには思い出せません。何度聴いてもそのたびに血沸き肉踊ります。第五交響曲の名演といったらそれこそ星の数ほどですが、これと比べたら、どのオケのティンパニ奏者も、ただ叩いているだけ――としか聞こえません。

これがかのイワノフの撥だとすれば、おそるべきソリスト集団であったレニングラード・フィルの名物男として通っただけのことはあると納得させられますが、七二年ライヴは残念ながらこれほどまでの冴えを示すにいたらず、蓋し、七四年ライヴこそイワノフとしても一世一代の演奏であった、とするほかありません――そして、この奇跡のような一瞬が、一点一画もゆるがせにせぬ全体のなかのパズルの一ピースとしておさまって、熱く脈動しているところに、ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルの真骨頂を見る思いがします。ムラヴィンスキーのタクトが厳しいがうえにもきびしいものであったことはたしかですが、だからといってそれが冷たかったと思い込むべきではありますまい。それどころか、これほど白熱した第五交響曲を、他にあげるといってはせいぜい、ご存知フルトヴェングラーの一九四七年のライヴと、素人のエア・チェック録音というのがたまにキズなクレンペラー/ロス・フィル(ARCHIPHON*1)くらいしかわたしには思いつきません。

(以上、コルトーばかり聴いているので気分転換の巻)

*1:この二枚組CD、第五交響曲もさることながら、ブラームス=シェーンベルクの第一ピアノ四重奏曲の管弦楽版が壮絶きわまりない演奏です。

コルトーのショパン/バラード第一番(承前)

こちらの続きとなります)

すでに述べたとおり、一九二九年盤は旧バラード全集の一部をなすものですが、HUNTのディスコグラフィーによれば、第一バラードはほかの三曲が二九年の三月十一日に録音されたあと、この曲のみ同年六月七日に吹き込まれた演奏だといいます。

これはどういうことかと推測するに、第一バラードには二六年盤があることだし、最初はほかの三曲のみ録音する予定だったのではないでしょうか。だから三月に第二から第四までの三曲が録音された。しかるに、最終的には第一もあらためて吹き込むことになった、とわたしは見ます。

憶測をさらにすすめれば、それはレコード会社の要求によるものではなく(しからずんば第一も三月に録音されていてしかるべきでしょう)、コルトーが自ら再録音を希望したのではないでしょうか――蓋し、じぶんの古い録音に満足できなくなり、あたらしい解釈をレコードに記録しよう、というのです。

もちろん、これはHUNTのデータがほんとうに正しかった場合のみ考慮されうる想像であり、これまでも散々述べてきたとおり、この本に書かれてていることはハッキリいってそれほどあてになりません。*1それでも、虚心坦懐にふたつの第一バラードを聴いてまず感じられたのは、それぞれがそのときどきの気分の反映であるというよりも、再録音は旧録音のアンチテーゼなのではないか、ということでした。

奔放な旧盤に対して、新盤の印象はひとことでいって端正。はじめの一、二分を聴くだけで、様変わりしている点を数えあげるに事欠きません。たとえば、第一主題部でリズムをきっちり刻む左手。表情的な伸縮や強弱の抑揚も、皆無とまではいえないにせよ、かなり抑制的です。

それに加えてテンポの変化が格段に整理されてたものとなっています。二六年盤ではあまりに激しくテンポが動くため全体の構造のアウトラインがいささか見えにくくなっていたのですが、新録音は見通しがきわめてすっきりしたものとなりました。換言すれば、前者ではさまざまなテンポどうしのコントラストを強調することに意が置かれていたのに対して、後者ではテンポ間の有機的な連関と全体をとおしてのバランスとが重視されているのです(フレーズ内部における伸縮が控えめで、基盤としてのリズムがぐっと端正かつ静的なものとなっているのも、音楽の大きな流れをひきたてる上で一役果たしているでしょう)。

序奏が終わって主部に入り、第一主題から最初の絶頂へといたる運びひとつを取ってみても、その整然たる推移感はきわめて緻密な検討を経たのでなくてはありえないもので、数学的といってもいい論理と均衡とに支配されています。一例をあげれば、旧盤では[1: 20]前後からぐっと盛り上げて派手な見得を切りますが、新盤ではあえてそこの抑揚をおさえることによって[2: 00]からの長大なクレッシェンドを強調し、クライマックスの壮麗さを聴く者につよく印象づけるのです。*2

ここへ続く)

*1:ちなみに、新星堂盤のデータには、四曲とも三月十二日の録音とあり。

*2:こういうところを、野村光一翁は「いささかどぎついくらいの緊張と迫力」と呼んだのではないかしらん。

ためしに、冗談半分で……

先にものした一文を、漢字で書けるところはむりやり漢字にして、某丸○君で正字正仮名変換してみたのが以下に掲げるものです。もともとがたいがいの悪文ですが、こうすることによってより悪くなりこそすれ、少しでも良くなったとは、まっっったく思えません(^^;


塩野七生女史の『サイレント・マイノリティ』の頁を捲つて居たら、此んな句が目に留まりました。

この頃のワープロ作文の台頭には、漢字がやたらと使われているのだけでも、私は憤りを禁じえないでいる。ワープロを使って書いたものは、ひとめでわかるくらいだ。(太字部原文は傍點)

此の書物を初めて讀んだ頃は未だワープロやパソコンで物を書く習慣が無かつたので別に何とも思はなかつたのですが、此うしてブログ遊びなど為る様に成ると、最近は自分でも意識的に假名文字を交へて書く様に為て来た所だつたので、大いに我が意を得た思ひがしました。

假名と漢字の書き分けに就いて取分け神經を遣つて来たのは詩歌の詠み手達だと思ひますが、往昔の文章家に於いても、塩野女史をして上掲一文の筆を執らしめた花田清輝を初めとして、池田彌三郎や名譯者として知られる實吉捷郎等、スタイルとしての假名文字の多用が或る美觀を為して居る事に氣付かされます(ぐつと新しい所では吉田秀和翁が然うでせう)。學生の作文ぢゃ無いんだから、漢字で書ける物は須らく漢字で書く可し、だなんてナンセンス。「云ふ」「來る」「行く」位の字を書かうと思つて書けない訳でも無し、字面次第で隨意に書き分けるのは嗜みの一種と云ふ物でせう。

然う云へば「其れ」「此の樣に」「〜して仕舞ふ」と云つた文字遣ひを為る方が偶に居られますが、鷗外・漱石を氣取つて居るのかいなと思つたり思はなかつたり*1……此れでも(例へば)齋藤磯雄の絢爛たる漢文體に畏敬の念を抱く事に掛けては人竝以上なのですが、漢籍に對する素養らしい素養が伺へる訳でも無く、パソコンの文字變換に依存して書かれた四角張つた字面の文章は、餘り良い趣味だとも思へません。

此く云ふ私も氣樂且つ感覺的に雜文を物して居るのでどんな間拔けな事を書いて居るか知れた物では有りませんが、此う云ふ事に興味を持つ様に成つたのは、疑ふ可くも無く、年取つたからでせうね(笑)。パソコンで表記するのが面倒でさへ無ければ、もう少し勉強して歴史的假名遣ひで表記する様に為たいなあ、とか……

*1:戰前の物書きが漢字を多用したのは、一面、假名遣ひに自信が無かつたからでも有つた、と云つて居るのは福田恆在でしたつけ!?

ひとりごと

塩野七生女史の『サイレント・マイノリティ』のページをめくっていたら、こんな句が目にとまりました。

この頃のワープロ作文の台頭には、漢字がやたらと使われているのだけでも、私は憤りを禁じえないでいる。ワープロを使って書いたものは、ひとめでわかるくらいだ。(太字部原文は傍点)

この書物をはじめて読んだころはまだワープロやパソコンでものを書く習慣がなかったので別に何とも思わなかったのですが、こうしてブログ遊びなどするようになると、最近はじぶんでも意識的に仮名文字をまじえて書くようにしてきたところだったので、大いにわが意を得た思いがしました。

かなと漢字の書き分けについてとりわけ神経をつかってきたのは詩歌の詠み手たちだと思いますが、往昔の文章家においても、塩野女史をして上掲一文の筆をとらしめた花田清輝をはじめとして、池田弥三郎や名訳者として知られる実吉捷郎など、スタイルとしてのかな文字の多用がある美観をなしていることに気付かされます(ぐっと新しいところでは吉田秀和翁がそうでしょう)。学生の作文じゃないんだから、漢字で書けるものはすべからく漢字で書くべし、だなんてナンセンス。「言う」「来る」「行く」くらいの字を書こうとおもって書けないわけでもなし、字面しだいで随意に書き分けるのはたしなみの一種というものでしょう。

そういえば「其れ」「此の様に」「〜して仕舞う」といった文字遣いをする方がたまさかにおられますが、鷗外・漱石を気取っているのかいなと思ったりおもわなかったり*1……これでも(たとえば)齋藤磯雄の絢爛たる漢文体に畏敬の念をいだくことにかけては人並み以上なのですが、漢籍に対する素養らしい素養がうかがえるわけでもなく、パソコンの文字変換に依存して書かれた四角ばった字面の文章は、あまりよい趣味だとも思えません。

かくいうわたしも気楽かつ感覚的に雑文をものしているのでどんな間抜けなことを書いているか知れたものではありませんが、こういうことに興味をもつようになったのは、疑うべくもなく、トシとったからでしょうね(笑)。パソコンで表記するのが面倒でさえなければ、もう少し勉強して歴史的仮名遣いで表記するようにしたいなあ、とか……

*1:戦前のもの書きが漢字を多用したのは、一面、仮名遣いに自信がなかったからでもあった、といっているのは福田恆在でしたっけ!?

両立はむずかしい?

コルトーのほうはちょっとひと息……)

ブルックナー指揮者はマーラー振りたりえず、その逆もしかり――なんてことが世にいわれますが、その伝で、ハイドンモーツァルトも両立しがたいレパートリーらしいです。

いわれてみれば、とまず思い浮かぶのはフルトヴェングラーです。巨匠のハイドンはわたしの好物中の好物ですが、モーツァルトはねえ……(^^;

その逆に、ムラヴィンスキーの振るモーツァルト交響曲はえもいわれずステキだったのに対して、かれのハイドンは到底褒められた出来ではありませなんだ。

例外の最たるものはシューリヒトでしょう。モーツァルトハイドンも到底優劣をつけられないすばらしさです。フリッツ・ブッシュやリステンパルトもまた、両作曲家の別なくいい演奏をきかせてくれますが、彼らふたりは、どちらかというとモーツァルトのほうにより適性を示していたような気もします。

それにしても、ブルックナーマーラーが両立しにくいというのは何となく分からぬでもないのですが、ハイドンモーツァルトはなんで難しいんでしょう。*1少なくとも今のところ、わたしにはまったくの謎です。

われらがチェリ様はといえば、これは歴然とハイドン/ブルックナー派でした――それでも、ひとに積極的にすすめようとまでは思いませんが、≪ドン・ジョヴァンニ≫の序曲やジュピター交響曲をわたしはけっこうよろこんで聴いています(^^;*2

*1:ただし、ブルックナー/マーラーほどは難しくないらしい……その理由もまた不明です。

*2:それをいったら、フル様の変ホ長調交響曲も、じつは嫌いじゃない(笑)

コルトーのショパン/バラード第一番

ここではバラード第一番を例にとりましょう。プレリュード集やソナタより一つ多い、三つの同曲異演を比較しうる便がありますし、各演奏を聴きくらべてゆくことを通じて、佐藤泰一氏をして「バラ一といえばコルトーコルトーといえばバラ一」とまでいわしめた名解釈の形成を垣間見る思いがするからです。

  • 一九二六年録音(VICTOR)*1
  • 一九二九年録音(HMV
  • 一九三三年録音(HMV*2

上掲のとおり、録音年が近接していることもあって演奏の設計図には共通する部分(たとえば、コーダに入るところの「間」がそうでしょう)があり、それぞれに聴く分にはどれもみごとな演奏ですが、よくよく聴きくらべてみるとその印象は意外と異なります。

○最初の録音はコルトー四十九歳の記録で、脂の乗り切った、きわめて華やかな演奏効果を誇るレコードです(あとの二種がバラードの全集録音であったのに対して、これは第一番単独の吹込でした)。一九二〇年代初頭のロンドンに滞在し、コルトーのステージに接している音楽評論家の野村光一翁は、二度目と三度目の録音を比較して、

「バラード集の旧盤は古い物としては中々録音が良いし、50代の最も脂の乗ったときのコルトーの演奏だけに、非常に華々しい力演であり、その後の新しいバラード集にはみられない緊張と迫力が窺える(ただし、いささかどぎついが)」*3


と述べているのですが、その一九二九年録音でさえおとなしくきこえるくらい。表情的で思い入れたっぷりのアゴーギグと大胆なコントラストを孕んだテンポの起伏とは聴く者の耳を驚かせ、パッセージ・ワークをパリッと弾きあげる指さばきの鮮やかさや力強い左手の雄弁は、ヴィルトゥオーゾ・ピアニストとしてのコルトーホロヴィッツたちにおさおさひけをとらなかったことを証明するでしょう。これだけを取り上げて聴く分には面白みたっぷりで、三つのレコード中最初のものがいちばん好きという方がいらしてもおかしくない出来だと思います。

しかしながら、実に聴きばえするこの大胆さは、同時に演奏の急所でもあります――というのも、「右手が何をしていても、左手はそれを知らないかのように正確にテンポをまもらなければならない」というのがショパンテンポ・ルバートの本義ですが、この演奏では左手がきちょうめんに拍を刻むという役割におとなしく留まっていないことにくわえて、強調した音符の前後で辻褄を合わせず、テヌートした分そのまま一小節が間延びしてしまうため、ややもすると拍節感があいまいになっているのです。

そのため、結果として音楽の自然な流れが損なわれがちですし、フレージングはいささか放恣な印象を与えます。音楽が昂揚する場面は直截な迫力で聴き手を圧倒する一方、第二主題の歌わせ方がなめらかさに欠けるのも、ショパンの生理的な呼吸とピアニストのそれとのいきが合っていないと感じさせる体で、蓋しこの演奏スタイルは、同じ機会に録音された舞踏への勧誘やリストのハンガリー狂詩曲にふさわしいほどはショパン向きでないのです。

このような評価は厳しすぎるでしょうか?――わたしは必ずしもそうは思いません。というのも、つづく一九二九年の録音で、当のコルトーが上に指摘した問題を解決すべく面目を一新した演奏をしているからです。

(続きはこちらをどうぞ)

*1:こまかいことをいえば、一九二五年に録音されたこの曲の後半のみのレコードもあるのですが、これは実質的に二六年盤の別テイクというべきでしょう。

*2:これらに加えて一九五七年の(おそらく)放送録音もあるのですが、それについてはまたの機会に……

*3:新星堂『アルフレッド・コルトーの遺産』第一集(SGR-8101)解説より孫引き。