コルトー

コルトーの初出録音(一)

遅ればせながら、コルトー/メンゲルベルク/パリ放送大管弦楽団によるショパンの第二協奏曲(MALIBRAN)を聴きました。これまで聴くことのできたコルトーのライヴ録音でもっとも古いものは一九四七年のベートーヴェンの第一協奏曲でしたが、今回の録音は一九…

コルトーのピアノ

シュナーベルといえばベヒシュタイン、ラザール・レヴィはエラール、ギーゼキングはグロトリアン、ボレットはボールドウィン……といった具合にピアニストの名がその愛器と強く結びついた例はあげるに事欠きませんが、わがコルトーの場合、それは云うまでもな…

三重のショック

昨年リリースされたコルトーのEMI録音集については、わたしも先にこちらで取り上げていますが、HMVの商品データをご覧になれば一目瞭然、フォーレの第一ソナタはわたしの期待していたアコースティック録音ではなくお馴染みの一九二七年録音でした。それほど…

マジですか

EMIからアイコン・シリーズというヒストリカル録音の企画モノが出ているそうですが今度リヒテルとコルトーがラインナップに加わりました。前者は(たぶん)EMI録音の全集で、ベルクの室内協奏曲(最後に再発したのはいつの昔か……)のためだけでも必至という…

バッハのクラヴィーア協奏曲第五番(続き)

意外なところでこの曲に執心を示していたのがヴァイオリニストのシゲティで、SP時代に二楽章の自編「アリオーソ」を吹込していましたし、後にはヴァイオリン版の全曲(G.シュレック編)を演奏しています(KING)。この曲は元来がヴァイオリン協奏曲をチェン…

コルトーのブランデンブルク協奏曲第五番

コルトーのバッハ嫌いについては先に述べた通りですが、例外的にブランデンブルク協奏曲は「その完璧な均衡のゆえに」巨匠の偏愛するところであったとか。特に第五番の録音(EMI盤)は、コルトーが弾き振りし、盟友ティボーが弓をとったというその顔合わせの…

スゼー/コルトーの『詩人の恋』

コルトーの五十年代のシューマン録音がグリーンドアから復刻されています。この盤のメインはフリッチャイとの協奏曲ということになるでしょうが、スゼーと共演した『詩人の恋』も、それに優るとも劣らない逸品です。その上にこちらは(たぶん)正真正銘の初C…

フランクのピアノ五重奏曲

いくつか聴いてみたいと思いますが、まずはコルトーと行きましょう。一九二七年録音といえばコルトー五十歳、脂の乗り切った時期のものです。艶やかな音色が際立つコルトーのピアノは、しかしながら色気をことさらに押し出すようなものではなく、格調高さを…

もうすぐ十二月ですね

というわけで第九ネタでも。クンデラの『存在の耐えられない軽さ』中に「俗悪なもの(キッチュ)」論があります――クンデラと第九に何の関わりがあるんだ、とお思いの方もおありでしょう。しかし、≪世界のすべての人びとの兄弟愛はただ俗悪なもの(キッチュ)…

ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第三番

(ここの続きです)コルトーとカザルスの一九五八年の共演を聴いていてまず感じるのは、カザルスのペースに合わせながらもコルトーが自らの音楽を存分に主張していることです。同じ魔笛変奏曲でも戦前と戦後では大いに印象が異なります――それだけ壮時のカザ…

コルトーのベートーヴェン(室内楽編)

コルトーのベートーヴェンといえば一昔前は戦前の室内楽録音を聴くことができるのみでした。これらのレコードが世間一般の「コルトーのベートーヴェン」観を形成したといえるでしょう。しかしながら、大公トリオなんか天下御免の名盤ですが、この場合全盛期…

コルトーのベートーヴェンふたたび

先にわたしは「イタに乗せたベートーヴェンのソロ曲」とわざわざまどろっこしい書き方をしましたが、実はコルトーによるベートーヴェンの録音は以下のように結構あることはあるのです。(室内楽) 大公トリオ、カカドゥ変奏曲(カザルス・トリオ) クロイツ…

アラウつながり

さて先日ご登場を願ったアラウが「甘ったるい」(これまたうろ覚え)とか何とか酷評していたコルトーのベートーヴェンを聴いてみます。先日ターラからリリースされたピアノ協奏曲第一番です。世間ではコルトーといえばショパン、シューマン、でベートーヴェ…